++ Happy Everyday.
生きよ、混沌を越えて.2
爽やかとは形容のし難い、露の降りた朝だった。
馬車をひとまず宿に預けた一行はサランを出て丘を登り、サントハイムの城の前に並んでいた。
誰がというわけでもなく皆が立ち止まり、外見だけは普通とそう変わりのない、その立派な城を見上げる。
「……迷っておられますかな」
ふと、勇者である青年に声をかけたのは戦士ライアンだった。
「いや、俺は……うん、そうかな」
カイルは複雑な心境をその端正な顔にのぞかせ、ライアンに頷いてから、自分から少し離れて立っているマーニャとミネアを見る。
ミネアは静かな表情で風になびく髪を片手で押さえ、マーニャはいつもとは全く違う鋭い目つきで城を睨みつけながら、真っ直ぐに前を向いていた。
二人が昨夜、きちんと休めたかどうかは分からない。
リーダーとしてかけてやる言葉もなかなか見つけることが出来ず、カイルはキングレオを出てからというもの当たり障りのない会話をするだけで二人をここに連れて来てしまった――それを、少し申し訳なく思っていた。
「案ずることはありませんぞ」
カイルの表情からその心情を読み取ったのか、ライアンは腰に佩いた大剣の柄を手で撫でながらはっきりと言った。
「貴殿は貴殿の思うように行動すれば良い。…それが我らにとって一番大切なことですからな」
仲間になってまだ日は浅いものの、歴戦の戦士であるその風格からは充分な頼もしさを感じる。
カイルは礼の代わりに笑顔を見せ、今度はマーニャとミネアの反対側へと視線を向けた。
そこに立っているのはサントハイムの三人。
アリーナはマーニャのように、燃える瞳を城に向けたまま微動だにしない。
その両脇にいつものように付き従っているブライとクリフトは、表情は硬いが瞳には主と同じ決意を秘めている様だった。
主であるアリーナの背中に顔を向けて、複雑な胸中を僅かに眉を顰めることで表したクリフトが、ふと視線に気づいてカイルを見る。
その瞳が何かを言いたげに揺れ、しかし言葉は紡がれずに彼はひとつ頷いた。
カイルも頷き返し、腰の剣を抜く。
「――行こうか」
露に濡れた足元の草を踏みしめ、一行は城門に向けて再び一歩を踏み出した。
*****
荒れ果てた城というものは、まさに神に見放された場所という形容が合う。
城の門をくぐり、カイルの号令によってライアンがサントハイムの扉を開いた途端、中の惨状を見たアリーナは怒りに拳を震わせ、ブライは一瞬だけ拒む様に目を閉じ、クリフトは表情こそ変えないものの僅かに唇を噛んだ。
どこからやってきてここへ棲みついたのか、城の中には今や数々の魔物が蠢いていた。
それらは瞬時に音と気配を聞きつけ、城の入口へと押し寄せる。
猛った咆哮、牙をむき出しに唸る魔族の者共。
剣を抜いていたライアンがそこで盾となり、体力に自信のあるというトルネコも、新品の武器を片手に魔物の群れを押しとどめた。
「行かれよ!」
大剣を魔物の頭上に振りかざしながら、ライアンがカイルに向かって吠えた。
「一戦ごとに全員の体力を費やすわけには参りませんぞ!」
叫びながらの剣の一振りが、獣のような姿をした魔物の首を撥ねる。
横からライアンの肩口を狙った別の魔物に、トルネコの投げたナイフが突き刺さった。
「しんがりは私どもが務めましょう」
魔物の爪を盾で防ぎながら、トルネコもカイルに向かって頷く。
カイルは迷わず、二人の間に出来た道を前へと駆け抜けた。
仲間を盾に使うつもりはない、まして見捨てるわけなどない。
しかし導かなければならなかった。
少なくとも、階上の玉座に待ち構えているであろうその敵の眼前までは――。
走り出したカイルに、残りの仲間も続く。
並び立った――所々崩れた柱の陰から、また新たな魔物が行く手を阻んだ。
「ヒャダルコ!」
ブライの喝と共に放たれた氷の刃が、それらの足元を覆う。
アリーナが汚れた絨毯の床を蹴り、魔物の首筋を払う様に蹴りを見舞った。
よろめき呻きながら、それは唸りを叫びに変えつつ興奮して牙をむく。
間髪置かずにクリフトの剣が魔物の身体を貫いた。
反対側の柱の傍では、ミネアの真空の呪文に身を切られてなお、地を這い蠢いている魔物達。
マーニャが自身の燻る想いを炎に乗せ、その輩共を焼き尽くす。
「……焦るな、まだだ!」
魔物の腕から振り下ろされた一撃を盾で防ぎながら、カイルが姉妹に言った。
「お前らの敵はこいつらじゃない…!」
聞こえているかどうかは分からないが、焦燥に駆り立てられた二人をどうにか諌めなければ敵の思うつぼである。
ハッと瞳を揺らしたミネアがマーニャに声をかけ、姉妹はすぐさまカイルのもとに駆け寄った。
「バルザックは…!」
「あいつはどこ!?」
居場所を分かってはいるのだろうが、呪に囚われたようにその名を口にする二人に、カイルは深い翠の瞳を向ける。
「落ち着け、この上だ!…でも…」
魔物の攻撃を躱しながらその身体を剣で薙ぎ、カイルが振り向いた先にはアリーナ、ブライ、クリフトがいた。
三人は未だに城の奥から出てくる魔物達と交戦中であった。
もっと離れたところ、城の入口近くにて魔物を引き受けているライアンとトルネコの戦闘も、終わる様子は見受けられない。
待っている猶予は残されていなかった。
こちらにも、彼らとの戦闘をかいくぐった魔物が攻撃を仕掛けて来ているのだ。
「クリフト!」
三人の中の誰がこちらに気付けば己の指示を解ってもらえるか、カイルは瞬時に判断してその名を呼んだ。
「!」
叫びにも似たカイルからの呼びかけに、クリフトは剣で眼前の魔物の攻撃を受け止めながらも、すぐさま視線を声の方へ向ける。
玉座の間へ上がる階段の下で、カイルとマーニャ、ミネアが魔物を防ぎながら待機していた。
少し離れてはいるが、クリフトの視線は真っ直ぐに、カイルのそれとぶつかる。
傍に来いと自分を呼んでいるわけではないと、即座にクリフトは理解した。
目の前の魔物を、邪魔だとばかりに斬り捨てる。
「姫様!」
魔物に連撃を見舞って床に着地したアリーナに回復呪文を唱え、クリフトは言った。
「お進み下さい、姫様」
「え?」
突然のクリフトの言葉に、アリーナは一瞬だけ戸惑いの色を瞳にちらつかせた。
会話を進めている間も、魔物達は通路の向こうから湧く様にやって来る。
アリーナに爪を振り下ろそうとした獣の腕を剣で弾き、クリフトは繰り返した。
「お進み下さい――あちらで、カイルさんが待っておられます」
「でも、…クリフト」
獣の姿の魔物の顔面に裏拳を放ち、アリーナは従者の神官の顔を見上げてから、もう一度周囲を見回した。
蹂躙される自分の城。
背後ではブライが、魔物を次々と氷柱で包み、緑色の外套を己の魔力による風ではためかせている。
「ここは私とブライ様が抑えます」
アリーナの一撃で地に伏した魔物にとどめをさしながら、クリフトは戦いの僅かな合間でアリーナを見つめた。
「でも!」
姫君はまだこの場から動かない。
――アリーナが縋る様な瞳をするのには訳があった。
彼女は、憎いのだ。
ここにいる魔物、全てが。
自分の思い出を蔑ろにする存在の全てを、己が自身の手で薙ぎ払いたいのだ。
許されるなら全ての力を解き放ち、荒れ狂う嵐の様になって暴れ回りたいのだろう。
クリフトもそれを解っていた。
解っているからこそ。
「貴女が行かなければなりません」
強く、きっぱりと、クリフトは主を諭した。
アリーナが対峙すべきは、階上の玉座にいる偽りの王。
ここに湧く三下どもではない。
クリフトにとっても、これは断腸の思いたる決断であった。
自らが姫君を、最も危険な戦場へと送り出そうとしているのだ。
「……、わかった」
唇をきゅっと噛んでから、やっとアリーナは頷いた。
ブライに視線を向けると、呪文を唱えながらも隙が出来ればこちらの様子を見守っていた、その老魔術師と目が合う。
「先に行く。…二人とも、終わったら来てね」
気を付けて、とも、頑張って、とも言えず、アリーナはそう告げると、謁見の間へ続く階段へと身を翻した。
階段の中ほどまで進んでいたカイルがそこから魔物を蹴り落とし、その脇をすり抜けて合流したアリーナを迎え入れる。
四人の姿が階上へと消えたところで、クリフトはブライと並んで再び残りの魔物達と対峙した。
「さて…踏ん張りどころじゃ」
赤い魔石のついた杖を持ち直し、ブライが呟く。
クリフトは頷き――口元を歪めて笑った。
「……我らのサントハイムの為に」
――そして、愛しき姫君の為に。
魔物の行く手を塞ぐようにそこへ立ちはだかり、クリフトは死の禁呪の詠唱を始めた。
*****
魔物共の喧騒が、階下から遠く聞こえる。
玉座のある、謁見の間――その扉を開けるとすぐに、“それ”はカイル達四人を待ち構えてそこに腰を据えていた。
「バルザック………」
仮初の王の衣を身に纏い、正気ではない目の色をした――それでもまだ人の姿をしたその者の名を、マーニャが低く呟く。
口にするだけで穢れる気がした。
「ほほう…よくここまで来たな。…エドガンの娘達よ」
横柄に玉座を軋ませながら、バルザックは言った。
(よくもお父様の居るべき場所を――!)
グローブをつけたアリーナの拳がきつく握りしめられ、ぎり、と音が漏れる。
マーニャは紅蓮に燃えた瞳を憎き相手から逸らさずに、ミネアは氷のような侮蔑の表情をその顔に貼りつけたまま、己の中で暴れ狂う怒りと戦っていた。
「待ちわびたぞ。…遅すぎたくらいだ、何をのんびりと遊んでいた?」
こちらの神経をいちいち逆撫でする声と言葉を使いながら、バルザックはゆっくりと立ち上がった。
「まあ良い――この城を我が物とするのに、こちらものんびりと時間を費やすことができたのだからな……我にとっては造作もないことではあったが」
「――っ!」
故郷を踏みにじられた上に侮辱され、アリーナの身体が反射的にぴくりと動く。
「バルザック」
アリーナがバルザックに殴りかかろうとするより一瞬だけ早く、マーニャの声がその場に響いた。
「あたしたちに、何か言い残すことは無いの」
敢えてその名を呼ぶことで己の魔力を高めながら、マーニャは訊く。
横でミネアは胸の前に手を組み、来るべき瞬間の為に神経を研ぎ澄ませる。
くくく、と喉の奥から絞る様に嗤い、バルザックは自らの頭に乗せられた冠に触れ、それを外した。
「言い残す?」
からん、と乾いた音を立て、冠が広間の床に落とされる。
「今更何を聞きたいというのだ、これから死に逝く者共が」
分かりきった答えと共にバルザックの身体がゆらりと前に屈み、魔力の風が巻き起こった。
その背中が盛り上がり、偽りの王の衣を突き破って現れたのは、魔の者を象徴するかのような闇色の翼。
冠を捨てた頭からは邪神の角が生え、人としての形相を衣服と共に破り捨てたバルザックの腕は、見る間に大木のごとき太さへと姿を変えた。
皮膚は鋼のように固く、筋肉はもはや一般の魔物とも呼べぬ程の大きさへと身体を変貌させる。
「我は進化の秘法を極めた究極の生き物――」
裂けた口から長くとがった舌を垂らし、尻尾を怪しく蠢かせる異形の者――。
下卑た嗤いを浮かべながら、バルザックは叫ぶ。
「もはやデスピサロとて我には敵うまい!」
「醜い顔に磨きがかかったわね」
この世で最も汚れたものを見る目つきで、マーニャは言った。
「その顔に貼りついた腹の立つ笑みを、苦悶の表情に変えてあげるわ!」
瞬間、マーニャの右手に熱風が集まり、炎の塊が凝縮される。
魔力を練っていたミネアが、真空の呪文を刃にして眼前の敵へと解き放つ。
アリーナは床を蹴り、一閃、バルザックの懐に飛び込んでゆく。
「そこを――退けぇえっ!」
――そこは、その椅子は、お父様の居場所よ――!
今の今まで溜めてきた怒りを拳に込め、バルザックの鳩尾に渾身の一撃を喰らわせる。
殴った場所を中心として、どん、と衝撃波が生まれるほどの力を、バルザックはいとも簡単に堪えてみせた。
「何人でかかってきても同じこと…」
アリーナの眼前で、バルザックの赤い瞳が自信と悦びに満ちた光を放った。
「返り討ちにしてくれる!」
バルザックの咆哮が、サントハイム謁見の間に響き渡った。
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